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独火星


 独火星

「独火星」は元風の旅団のメンバーである池内文平、大谷蛮天門、藤島かずみ、橋本吾道らが結成。

呼応計画の一番 『泥の河で眠れ都市』 1993年9~11月 松本・博多・小倉・広島・京都・東京
作/演出・池内文平 役者・高木淳 池内文平 藤島かずみ 大谷蛮天門 いむたこうじ 橋本吾道

呼応計画の二番 『千の眼と千の夜』 1995年9~10月 広島・東京南千住・東京立川・東京法政大学
作/演出・池内文平 役者・黒川然 河田真由美 橋本吾道 藤島かずみ 唐川久美子 富樫繁人 池内文平 

大谷蛮天門



呼応計画の三番  『メフィ』 1998年5 東京南千住
作/演出・池内文平 役者・伊郷俊行(発見の会) 大谷蛮天門 近江屋ナナ 然 桜井大造(野戦の月)左武狼 

崇 南 根岸良一 (野戦の月) ばらちづこ(野戦の月) 藤島かずみ 水野慶子 リュウセイオー龍 池内文平

独火星呼応計画 『東京難民戦争 九龍の蛆虫ども 第一部 火の記憶』 2001年12月 東京中野光座
作/演出・池内文平 役者・大谷蛮天門 大場吉晃 水野慶子 左武狼 根岸良一(野戦の月) 

葉桜由良之助 (フン族) ばらちずこ(野戦の月) 真鈴 リュウセイオー龍 池内文平 

2003年7月   東京難民戦争外伝・九龍の蛆虫ども・第2部『虚無への供物』

(東京中野・光座)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京難民戦争外伝-九龍の蛆虫ども
第3部 希望の原理

独火星04東京

瑞江・特設テント
東京都江戸川区西瑞江2-22
(都営新宿線瑞江駅南口下車徒歩3分)
2004年7月1(木)2(金)3(土)4(日)日

ばらちづこ
WAKAME
水野慶子
沙蘭
大場吉晃
リュウセイオー龍
岩崎健太
大谷蛮天門
伊牟田耕児
伊東六八

植松裕太
池内文平

洞察的な真にオーソドックスな幻滅もまた、希望に属している
 ―Ernst Bloch                     

前世紀末から企図してきたこの「九龍の蛆虫ども」シリーズも、
今度でいちおうの打ち止めとする。「火の記憶」「虚無への供物」
とザラついた芝居を続けてきたが、今回はより一層、目の粗いサン
ドペーパーのような芝居をつくりあげたいと思っている。
「希望の原理」という外題は、いうまでもなくE・ブロッホからの
借用だが、前々作からE・ガレアーノ、中井英夫(塔晶夫)と続け
てきた背景には、「洞察的な真にオーソドックスな幻滅もまた、希
望に属している」というブロッホ自身のコトバがあったからかも知
れない。
〈世界〉はまったく幻滅に価するものである!
いずれにせよ、テントに戻っての乱痴気騒ぎ(チカラワザ)である。
どんな出来になるかは、ある程度は予測できるが、それでも不確定
要素=大だ。まあ風まかせ。〈世界〉と〈芝居〉とはこのように可
変であるというところをお見せしたいと思う。その点、はじめての
地・瑞江はぼくらにツブテのような刺激を与えてくれるだろう。
あらためて、いまいちど確認しておこう。
わが渋面の求道者、エルンスト・ブロッホはこう言っている―

わたしはある。わたしたちはある。
それで十分だ。ともかく始めなければならない。
(『ユートピアの精神』好村冨士彦訳)

むろん、それで十分だ。
大団円か破局か―風はらむ、瑞江・テントへ!

作・演出 池内文平
音 楽 小間慶大
音 効 新井輝久
映 像 佐々木健 田中明
照 明 2PAC
舞台監督 大場吉晃 
美 術 宮明生 山口創一 増山麗奈
舞 台 村重勇史 吉田篤洋 遠藤弘貴 

小夜子
小道具 真鈴
制 作 クニヒロ
監 修 中山幸雄
急 使 浜村篤
急 送 根岸良一
後 見 高木淳
宣伝美術・印刷 山猫印刷所

協力
アビエルト 押切珠喜 
「山谷」制作上映委員会 張理香
電気回路研究会 フン賊 ねこや 
野戦の月=海筆子 発見の会 泥
棒組合 花上直人 新孝一 和田康
和田伸 小川隆宏 榊原南 おかめ
キノキュッヘ エル・エスパシオ・
デ・ラ・ペリクラ浦崎直樹 杉田幸
美 秋山みどり 柴田陽子 池田繁
阿久津陽子 板橋裕志 (有)SA
NQA 小林純子 プーロ舎

独火星・呼応計画 06東京

クゴッ… --友よ、安らかにくたばれ
そうだな。おそらく、これが、ながいながい
最終戦争の始まりだ…

2006年10月5日(木)6(金)7(土)8(日)9(月・休)日
18:30開場 19:00開演
新宿区百人町4丁目空地特設テント
 出演
 ばらちづこ

 WAKAME
 リュウセイオー龍
 大場吉晃
 いぞう
 ロベルト宙太・ヤマダ
 輝龍光平
 池内文平


 作・演出/池内文平
 音楽/小間慶大
 音効/新井輝久
 映像/田中 明
 照明/2PAC・桜井大造
 舞台監督/大場吉晃
 舞台/村重勇史・永田修平
 遠雷/中山幸雄
 急使/濱村篤・池田恵子
 急送/根岸良一
 後見/高木 淳
 制作/押切珠喜
 宣伝美術/水野慶子
 印刷/山猫

「仲間よ、安らかにくたばれ、ただし静かにくたばれ。苦しみの叫びが遠くのこだまとしか聞こえないように…」。--これは、フランスの運動体MIB(移民と郊 外の運動)が、2005年11月に起きた都市暴動のさいに発したメッセージである。これを訳出した稲葉奈々子は、それを「自分たちの訴えが顧みられること なく黙殺されることへの悲痛な叫び」としている。
 同じ誌面のなかで、コリン・コバヤシはあるシテ(郊外の大団地地域)で出会った18歳の青年モハメッドの次のような言葉を紹介している。--「俺たちの 兄貴の世代は、マーチン・ルーサー・キングだ。俺たちはマルコムXだ。このまま続けば、弟達はブラック・パンサーさ」。
 その声--遠くのこだまとしか聞こえないような声--は、ぼくらに聞こえただろうか?たしかに「声」は届いていた。けれども、ぼくらには聞こえていな い。当然である。彼らは聞こえないように声を発したのだから。しかし、それは間違いなく届いていたのである。彼らが、聞こえる声を拒絶したように、ぼくら は耳で聞くことを拒絶した。

しかし、届いている。ぼくらはそれを、目玉で聞き、指先で聞いたのだ。
 

「差事」劇團

台湾の著名な詩人でありジャーナリストでもある鍾喬(チュンチャオ)が主宰する「差事」(アサイメント)劇団。野戦の月の桜井大造とフィリピンで出合い交流が始まる。1999年8月野戦の月台湾公演に於いては台湾での制作を担ってくれる。

『A Sudden…〈一瞬間〉』台湾大震災 先住民・客家人 被災地支援 イベントvol・2
 2000年東京国立・木乃久兵衛
詩作/朗読・鍾喬 ムーブメント・李薇 チェロ・坂本弘道

裂罅の中での詩行」-詩の朗読と演技-について
                  鍾喬
 震災後の迎えた2000年の元旦、私は野戦の月の桜井大造の家で床についた。その晩、私は被災地の痛ましい惨状の夢をみた。
 異郷の友人が温かくもった枕元に、私の焦慮した魂が湧き上がった。傍らで眠っていた日本の友人が、突然、しかも夢の中で私を揺り起こした。
 払暁の目覚め、恍惚の中、混沌とした私の脳裡に夢物語のように時間を朗読する声がきらめいた。
 夢物語のような詩、つぶやきような吟詠、「流亡する風をはらんだ帆の群れが、詩人のうねり続ける魂の海域と絶えず行き交い・・・・」
 震災発生ご、差事劇団のメンバーは霧社の震災地に救援におもむいた。その地では一つの時が流布していた。「ある先住民の祈祷師が、地震の発生を予感し、集落の民を引き連れ避難したが、その行方は杳として知れない・・・・」
 また、客家(ハッカ)の被災地を訪ねた際、一人の長老はこう囁いた。「古びた屋敷が轟然と倒壊した後の、この腐ったような臭いは、すでに数百年前から徐々に伝えられてきたものだ・・・・」
 神話のような伝聞や叙述は、まさしく共同体が苦痛に満ちた災難を体験した後の贖いいなのだ。霊魂の深處からの贖いを、社会への関与の意義をもって解き放つ。このことを試してみたい。

 

 

『記憶的月台』 2000年6月 

広島・アビエルト
「広島野戦の月」の中山幸雄が新たにひらいた空間、「カフェ・テアトロ・アビエルト」でのこけら落とし公演。野戦の月から桜井大造が台本共同執筆&演出し、伊井嗣晴・伊牟田耕児が役者として参加した。
演奏・大熊亘 坂本弘道 木暮みわ 空想民族音楽SAYAN

たとえば広島の逢魔が時、可部線上八木の無人駅に降り立った彼ら異邦人たちは、異国の魔物と出逢おうというのか。
 台湾社会の深部に妖怪のように居住するいくつもの時間の帯、その帯がくるくるほどけ、風になびく一反木綿のように彼方に生き延びる。彼らはその線路を渡ってきたのだ。
 喫人(食人)の記憶から逃れられない詩人がいる。手にするのは、真っ赤に塗り潰された魯迅の「狂人日記」だ。彼の言葉の断片は、時折、血飛沫のようにあ たりをぬらすだけだ。むしろ、溺死の記憶に結ばれた原住民の少女、大陸から台湾に売却された大陸花嫁、白色テロ時代に上演を封殺された芝居を求める女優、 それらの記憶を集めお腹の児に食べさせようととする妊産婦。いずれ積残された記憶とはいえ、それは哀しみや悩みの庭に沈んでいるわけではない。それらが袖 擦れ合い、ときには絡み合って記憶の糸で織られているタペストリーを造形する。台湾の妖怪たちの時間が、もうひとつの時間の帯を織るのだ。
 もちろん、織り込まれているのは、広島在住の魔物たちとヒロシマのもうひとつの記憶だ。

『記憶的月台』 2000年8月台湾・台北市
「Tent Theatre Festival 2000 in Taipei」にて再演。野戦の月と同じドームテントを新たに製作、テントを中心に行われたフェスティバル。
舞台・中山幸雄 田口清隆 遠藤弘貴

『海上旅館』 2001年11月 広島・アビエルト
差事劇団単独での公演。

海上旅館:詩的な寓話
 冷戦の時代、米軍第七艦隊による台湾防衛のため、禁断された台湾海峡の両側に位置する台湾と中国は、対峙する分断国家になった。冷戦構造解体後、海峡を 挟む両岸政府は条件付きのもとで交流を始め、台湾側は外国人労働者を受け入れはじめたものの、国家安全の理由で中国人労働者の受け入れは禁絶してきた。
 消費社会が成熟しつつある台湾は、重労働の仕事を徐々に外国仁労働者や先住民労働者に任すようになったが、ハイ・リスクを伴う過重労働の漁業労働だけ は、暗黙のもとに中国人労働者がするようになった。これらの漁業労働者は身分上の関係で台湾の陸地には着くことができず、正式の労働証明書も取れないま ま、台湾沖の古い船体に身を寄りながら、日々台湾漁船の出港を待ち、漁業労働に就いている。
 彼らは、まるでボーダーをさまよう難民のように終日漁船上で漂白しているのだ。台湾の人々はこれらの中国人漁業労働のことを「海上旅館の住民」と呼んでいる。
 「海上旅館」はこのような背景をもって劇の名前になった。ただ、これは一つの寓話にすぎない。
 この劇の設定は、地震に遭遇した小さな町で、役者たちが自分らの演劇を創作するためになやんでいる。そしてその時に、その流浪離散の心境をもっとも語り 得る概念は、「海上旅館」でしかないと悟るのだ。したがって、「海上旅館」はただの詩的な寓話である。このような詩的な境地を通して、役者たちは現実世界 以外の流転の幻の中に入った。われわれはこのような存在のしかたに与するものたちを「国境内亡命者」と呼ぶ。

「世界根岸劇場」

独身者の機械。「根岸」の小宇宙ではなく、世界は「根岸」である。そんな感じ。

『究極の神々』 1995年1月  作/演出・寺川努 役者・根岸良一 寺川努 音楽・西村卓也

『駅伝銅像』  1997年4月 東京・テルプシコール 作/演出・寺川努作 役者・根岸良一 寺川努 藤島かずみ 伊牟田耕児 音楽・西村卓也

『ドリーにキッス』 1999年1月 東京国立・木乃久兵衛 作/演出 池内文平 プロデュースソライロヤ 根岸良一 ばらちづこ 岡本伊津子 藤島かずみ 伊東六八 映像・佐々木健 音楽・西村卓也

「魚人帝国」

京大西部講堂を拠点とし、旅芝居テント劇団。旗揚げ以来一貫して伊井嗣晴が全面的に参加。伊井の顔が本当に魚人のようなので、こういう名前の劇団になったという噂もあり・・・。

『畸形の天女』 1995年4~5月

『キリクとゴーゴーの境』  1995年12月

『泥修羅BOMBA』 1996年9~11月

『白いカラスは歌うクジラの夢を見て泣く』  

1997年11月

『DOOM・神州纐纈城』 1999年8~9月

「三日月丸」

『嘘物語』 1998年7 年 雑司ヶ谷鬼子母神

「三日月丸」は野戦の月の香乃カノ子、人形遣いである銀猫商會の黒谷都、台本演出担当・桜井大造の3人によって結成される。人形師は渡辺数憲と松沢香代、 美術は小川哲朗とソライロヤ(照明)、舞台は村重勇史と烈児、

音響は新井輝久、人形遣い後見役として加藤知子、沙蘭。ゲストとして清水浩一郎、伊牟田耕 児、K・ロハンが出演。(『桜井大造上演台本集 野の劇場』論創社99年6月刊に収録)

「この奴」

『聞け、万国の労働者』  1998年10月 東京PlanB

「この奴」は伊牟田耕児の一人パフォーマンス名。ゲストとして元風の旅団の星野哲郎が出演。生演奏はアルトサックスの吉野繁。人形製作は松沢香代、照明はナカムラアツシ、舞台は烈児、作曲は小間慶大、作文は桜井大造、後見は竹本幹。


「活人(塾)」

元風の旅団の中村敦と元夢一族の裂児たちが結成したテント劇団。

『カ・ミ・ノ・シ・ロ』 1994年10~11月
伊牟田耕児と後に野戦の月に参加する伊東六八が役者で参加。

『禿山の一夜』 1997年10~11月
伊東六八と野戦の月休団中の森美音子が役者で参加。

「発見の会」

『桜姫シンクロトロン・御心臓破り』 1997年7~8月 東京南千住・野外公演 
*桜井大造が上演台本を担当(『桜井大造上演台本集 野の劇場』論創社99年6月刊に収録)

共働・参画・加担への誘い         マダンの光・2005

私たち「マダンの光」は、この五月に「光州蜂起」25年を期して韓国・光州市でひらかれる「光州アジアン・アート・ステージ(光州マダン)」に参画しよう とする演劇人のあつまりです。主なメンバーは、このクニのテント芝居集団である「野戦の月・海筆子」と「独火星・呼応計画」で活動する者たちで、80年代 に日韓連帯運動の場で隊伍をともにしたテント劇団「風の旅団」の流を汲む者たちです。
私たちは、「光州マダン」の企画者から、この催しへの参加を打診されましたが、結論から先にいうと、それは断りました。というのも、近・現代の日韓(朝) 関係の現実のなかで、私たち日本の表現者が公的資金を使って韓国に出かけてゆくことはとても了解できないことだったからです。折しも本年は日韓条約40周 年にあたる年です。日韓両政府は、「北」との関係を含めて、何かにつけ、これを喧伝し、新しくもない「新時代」を言挙げして、現在もなお続く両国間の未解 決な歴史的諸問題にフタをしようとするに違いありません。私たちはこうした思惑に、これまでそうであったように、今回もまた一線を画したいと思います。
むろん「光州マダン」の企画自体は、そのようなものとは無関係であることはいうまでもありません。ただ私たちとしては、くりかえして言いますが、どのよう な形にしろ、公的資金によって運営されるであろうどんな企画にも積極的には参加できないのです。皮肉な言いかたになりますが、これは帝国主義本国人として の最低の心構えなのです。
とはいっても、「光州マダン」実行委の厚意や、それまで培ってきた企画者たちとの友誼を無にすることもできません。ものごとの始まる一歩手前で足踏みした り手を拱いてばかりもしていられません。そこで私たちは、実行委員会に無理を言って、相互の信頼関係のうえで「非・招待作品」としての参画を提案しまし た。その結論はまだ出ていませんが、いままでに2回の訪韓と日常的な通信のやりとりでそのような方向で話はすすめられています。
「非・招待作品」というのは、本企画期間中に、企画者と協同して、本企画とはまた別の「場」をつくり出すということです。そしてそのふたつならが大きな 「光州マダン」を形成してゆくというものです。具体的な方法についてはいまだ話し合い中ですが、いずれにせよ、私たちは責任の一切を私たち自身がもって、 「光州マダン」に参画してゆこうと思っています。
参加作品は、げんざい作家(池内文平)が執筆中ですが、外題は『新しい天使-月にいちばん近い丘まで』といいます。「新しい天使」とは、むろん、自由を求 めて、ついにピレネー山脈を越え得なかったW・ベンヤミンに由来していますが、「月にいちばん近い丘」とは、いうまでもなく「自由光州」で闘い倒れたひと びとがいまも眠る「望月洞」を含意しています。おそらくそれは、1980年5月の光州ばかりではなく、そこから千キロ離れたこの地と、25年を経た現在を 撃つものとなるでしょう。(約1時間半の中編)…
以上が現在までの私たちが「光州マダン」に参画する基本的なスタンスと進捗ぐあいです。
そこで!これを読むひとびとにお願いがあります。どうか、私たちの「光州マダン」に加担してください。私たちは、芝居づくりはお手のものですが、それでも海峡を越えるとなると多くの問題が山積です。
まずはコトバの問題。芝居は主に日本語でやりますが(韓国の俳優も参加予定)、そのハングル訳をプロジェクターで投影しようと考えています。その翻訳がひ と仕事です。どなたか、両国のコトバに堪能なかたのご協力をお願いします。たぶんチームを組んでの作業となりますが、どうかよろしく。
その他、器材のシステムのちがいや、現地事情など、次々に難問が惹起してくるに相違ありません。これは!と思いつくことがあればお教えください。
未熟な私たちの無謀な行為に、ぜひとも共働・参画・加担してください。実費以外、無償になりますが、うまい酒がのめることだけはうけあいです。

2005年3月
「マダンの光」一同
          (文責・池内文平)

マダンの光・2005「新しい天使-月に一番近い丘まで」
日時 5月24日 25日 PM8時開演
場所 光州5・18自由公園 野外劇場(地下鉄尚武駅下車徒歩10分)
作・演出 池内文平、 桜井大造、
出演 ばらちづこ 、森美音子、 つくしのりこ WAKAME 、ソンビョンス 、桜井大造、
リュウセイオー龍 、池内文平
翻訳●具聖牧 金恩愛 舞台■村重勇史 中山幸雄

音楽♦小間慶大 音効●鈴木大介

映写●伊井嗣晴 衣装▲おかめ 宣伝美術■水野慶子 

照明●池内文平 押切珠喜

記録永田修平
■押切マヲ 、なっつ、和田康、 小見憲、 遠藤弘貴、阿久津陽子 、板橋裕志

マダンの光 ’07

光州のマダン劇団「ノリペ・シンミョン」を招き、<光州民衆抗争>を描いた彼/女らの代表作『立ち上がる人々 – 잍어서는 사람들』を、各地の実行委と供に巡演。真夏のニッポン列島に<マダン – 広場>を現出させる。

2007年
7/29 統一マダン東京 特別ゲスト出演  三河島・旧真土小学校
7/31 大阪 生野区民センター
8/2・3 北九州 スミックスホールESTA
8/6 広島 中央公園
8/9 大阪 北加賀屋クリエイティブセンター大阪 名村造船所跡地
8/11 京都国際学園グラウンド
8/12 名古屋 白川公園
8/16・17 東京 新宿 韓国料理「大使館」駐車場
8/18 東京 木場公園 多目的広場
8/19 東京 三河島 旧真土小学校

 

 

マダンの光 2012──3都市テント公演

光州ーソウルー東京
마당,텐트를 만나다 Tent Meets Madang
野火/들불作・演出 池内文平
共同演出 박강의(朴剛儀/Park Kang-Eui)出演ばらちづこ
정이형(鄭二炯/Jeong Ei-Hyeong)
김호준(金虎準/Kim Ho-Joon)
정찬일(鄭燦一/Jeong Chan-Il)
阿花女
백민(白民/Baek Min)
이만영(李萬永/Lee Man-Young)
박강의(朴剛儀/Park Kang-Eui)
瓜啓史
김다운(金タウン/Kim Da-Un)
최윤석(崔允錫/Choi Yun-Seok)
リュウセイオー龍
오숙현(呉淑賢/Oh Suk-Hyeon)
森美音子
桜井大造
疫蝿以蔵楽士 김종일(金鐘一/Kim Jong-Il)台本翻訳 申知瑛
音楽 大熊ワタル
舞台監督 桜井大造
照明 2Pac
音効 渡辺薫
舞台 和田康 大箭政邦 瓜啓史 渡辺薫 ゐゾウ
衣装 武内理恵 阿花女 白民
字幕 徐柱煕 申知瑛 金誾愛
美術 春山恵美 李彦
映像 キム・ユミ
宣伝美術 水野慶子

恊働・協力
マダンの光・ソウルチーム/문화예술카페・별꼴/スユ+ノモN/スユ+ノモR/でんでん虫工房/具聖牧/박태규/김희련/柳在渕/李鍾旭/羅陽彩/アジュメディア/マヲ/たお/遥南/押切珠喜/みりん/田中

恊働・協力
マダンの光・ソウルチーム/문화예술카페・별꼴/スユ+ノモN/スユ+ノモR/でんでん虫工房/具聖牧/박태규/김희련/柳在渕/李鍾旭/羅陽彩/アジュ メディア/マヲ/たお/遥南/押切珠喜/みりん/田中明/五反田まり子/松尾容子/荒牧大道/山谷制作上映委員会/中山幸雄/野戦之月海筆子/独火星・呼 応計画/놀이패 신명

光州公演 4月6日・7日 5・18自由公園
ソウル公演 4月11日・12日 光化門/ひらかれた市民マダン

東京公演 6月23日(土)・24日(日)午後6時/開場 6時30分/開演(受付は午後5時から)
■夢の島公園 特設テント(江東区夢の島/第五福竜丸展示館前)
■電車:地下鉄有楽町線・JR 京葉線・りんかい線「新木場」駅下車 徒歩12分
■バス:地下鉄東西線「東陽町」から都バス(東陽町-新木場、東陽町-若洲海浜公園)

「夢の島」下車 徒歩7分

光州で

桜井大造

22年振りに光州の町に降り立ったのは2年前の真夏、8月15日の深夜であった。大 邱(テグー)から光州まで4時間。大邱のロッテデパートの屋上で「解放記念日」を記念して行われていたマダン劇を見物した後、当の劇団「神明(シンミョ ン)」の光州への帰途、そのワゴン車に随行させてもらったからだ。「シンミョン」とは初対面である。韓国の知人の紹介である以外、互いに何の情報も持ち合 わせてはいなかった。遠慮する当方を押し包むようにしてワゴン車に乗せ、あとはほとんど無言のままの移動であった。

 22年前、1982年3月、高速バスで光州に降り立ったのも深夜であった。薄暗い外灯の中、道のあちこちに人影が見える。近づけば、それは私服の警察 官、あるいは軍人であることがすぐにわかった。光州は完璧に影に監視されていた。影には沢山の目玉があり、町に残された微かな光をも吸い込んでいるのでこ んなに暗いのか、と強がった。張りつめた視線に覆われる町を旅館を探して歩くうち、いつの間にか4つの影が後ろにあった。恐怖を感じた。無言の影に押し込 まれるようにして旅館に駆け入った。
「シンミョン」に紹介されたラブホテルに泊まり、翌朝「シンミョン」の朴さんが大学の日本文学の先生である柳さんを連れてやってきた。望月洞(マンウォル トン)を案内してくれるというのである。光州抗争の死者たちをその家族たちが葬った墓地である。22年前にはとても叶わない場所だった。
 望月洞にはその後の民主化闘争で亡くなった多くの人々の墓もあった。生きて逢うことができなかった詩人金南柱氏の土饅頭は墓地の左端の方にあった。そこ に飾られていた写真に向けて、22年間遅延していた許可を請うた。許可?ーー22年前、光州から帰国しすぐに旗揚げした風の旅団の「東京マルツゥギ」で氏 の詩を無許可で使っていたからだ。いや、その後の公演でも幾度も使わせてもらったのだ。あ、いや、しかし、91年には池内文平が、出獄し少しの間娑婆に住 んだ氏に会っている。きっとその時に非礼は詫びたはずだ。いや、もっと前、80年代後半、獄中にいた氏に面会した「農夫の夜」の翻訳者平野さんが私らの代 わりにーー氏の土饅頭の前で、22年という月日は伸びたり縮んだりしたが、不思議と込み上げてくるものはなかった。むしろ、この2ヶ月後、山形の最上町と いう場所で野外劇をやったおり、氏の「灰溜まり」を語っている途中、激しく込み上げてくるものがあった。科白が切れ切れとなり、顔がくしゃくしゃとなり、 腹筋が痛んだ。土の中に埋まっていいでもあろうか。これもまた2ヶ月の遅延である。
 望月洞のそばに5・18墓地がある。97年、広大な土地にモニュメント、資料館、遺影奉安所などを配した荘厳な墓地である。光州市のリーフレットによれ ば、この墓地は「民主化の聖地」であり、光州抗争は「不滅の金字塔」としてここに記録され「生きた歴史の教材」となった。つまり「韓国国民のヒストリー」 となったのだ。しかしーー
 もとより、このことに不足をいうのではない。光州抗争が韓国内で確かな位置を得たのは、わずかに10年足らず前なのだ。「暴徒」とされてきた民衆が、正 しい位置を与えられ「名誉回復」されたことに何の異議があろう。だから、私が感じた違和感というのは、些少なことかもしれない。たとえば「歴史の教材」に なるということは、死者の生前を現在的な正当性という尺度で測るということでもあり、生きている私らのために活用することになりはしないか。死者を対象と して固定するということであり、「知る値打ちがある死者」という価値基準がそこには働いていないか。この価値基準は「民主化された韓国」なのだろうか。あ るいは「理想とされる人類社会」なのだろうか。いずれにせよ、おそらく家族たちがそうであるように「死者のすぐそばで生きる」ということとはかなりの誤差 があるように感じるのだ。
 これは「歴史」ということを巡る問題であるので、ここでたやすい結論を述べるべきではない。だが、少なくとも<表現>というものと関わっている私らには かなり根幹となる事柄ではないか。私の違和感はそこから出ている。光州にわずか数日滞在するだけで、輻輳するいくつもの遅延を抱え込み、伸縮する22年に 惑わされるのだから。
「シンミョン」ともう一つの光州の劇団「トバギ」が中心となって、翌年(05年)5月に「光州抗争25周年記念祭」が計画されていた。それに参加しないか との誘いをもらったのは、その夜のことだ。もう四半世紀が経つのだ。「シンミョン」も「トバギ」も光州抗争当時からの集団の流れであり、激しい民衆の抵抗 を主軸にした表現をこの現在に引き継いだ人たちだ。
 大邱のデパート屋上で見た「シンミョン」の舞台の力強さがその事をよく伝えている。前半は、爆笑につぐ爆笑である。身を投げ打つような所作が言葉の理解 できない私をも爆笑に誘わずにおかない。だが、やがて凝縮した記憶の時間がやってくる。地面にめり込むような葬送のシーンだ。だが、それは死者の冥福を祈 るといった姿ではない。時間を凍結させようするかのような哀しみではあるのだが。そして、四物が打ち鳴らされ、演者の身体は激しくうねりだす。凝縮した記 憶に抗おうとするように、場が弾け出す。生と死が行き交う場、死者と共にある祝祭の時間が訪れる。散逸していた様々な時間が身もだえするような演者の力に よってたぐり寄せられ、中央で重力を増していた記憶は一気に解き放たれる。そして重要なのは、それを囲む観客席があることだ。まなじりを決してそのような 祝祭を分有する観客がいるということだ。冷笑の座る席は用意されていない。
「25周年」の参加要請にはもちろんすぐに応えられなかった。スケジュールの問題ではない。そのような祝祭の場に私(ら)が立てるものかどうか、自らを振 り返る必要があったからだ。翌年5月までの間に私(ら)は幾度となく光州におもむくことになる。そして「マダンの光’05」を結成し、往復を繰り返すこと で、光州を自分の居場所として選び出していくことになった。詳細は省くが、結果的には、実行委の招請によってではなく、光州の町と直接繋がるという意味も 込めて「自主的参加」という形態をとることにした。実行委も納得してくれた。こうして私らは、5月の光州に立った。
 5・18自由公園を会場に「光州マダン」は行われた。北京、上海、香港、台湾、そして韓国の各地からマダン劇グループが参加した。運営から裏方までを兼 務した「シンミョン」と「トバギ」の公演は素晴らしいものだった。多忙を極める中を、ほとんど寝ずに深夜に稽古をしたようだった。「シンミョン」は光州抗 争をテーマにした「立ち上がる人々」。「トバギ」は会場を道庁前に設定し、市民軍が最後の決戦として立て籠もった5月27日の深夜にタルチュム(仮面劇) を行った。双方とも光州を生きる表現者の矜持と責任を十二分に発揮した舞台だった。彼らの舞台によって、光州抗争は新たな姿となってこの今に記憶されたと いっていいだろう。

 07年7-8月、「シンミョン」と共同してこのクニの各地にマダンを開くことになった。ベースとなるのは光州抗争をマダン劇とした「立ち上がる人々」である。このクニの各マダンにどのような記憶が新たに生まれるかを期しつつ、全力をあげて準備したい。

                                 2006・12月

独火星・呼応計画/2009年★東京公演
ずるい鏡 shifting mirror

公演日程:
  2009年9月19(土)・20(日)・21(月休)・22(火休)・23(水休)

場所:

新小岩ZaZa(旧新小岩劇場)

ずるい鏡

作・演出:池内文平

出演:
  はらちづこ/藤島かずみ/水野慶子/WAKAME/
  大場嘉晃/疫縄以蔵/リュウセイオー龍

 音楽:小間慶大
 音効:新井輝久
 映像:田中明
 照明:2PAC

 舞台監督:大場吉晃
 舞台:永田修平 田口清隆
 衣装:新井香代 井上祐子
 宣伝美術:水野慶子
 遠雷:中山幸雄

 エスペラント指導:中山広子
 いろいろ指導:風野惣太

後見:高木淳

<協力>
「山谷」制作上映委員会/電気回路研究会/サンカ バイオマス事業部
野戦之月海筆子/キノ・キュッヘ/花上直人/押切珠喜/新小岩ZAZA/
「天皇即位20年奉祝」に異議あり!え~かげんにせーよ共同行動/
-

蒼天空8月公演八月蒼穹のウルリム作、演出、蒼天空、

出演、森美音子、つくしのりこ、阿花女、ばらちづこ、

リュウセイオー龍、舞台監督、渡辺薫・協力・PA/FSPCE.野戦之月海筆子・独火星 日時2009年8月8日(土)19時開演料金1500円・場所早稲田PA/FSPACE・東京都新宿区馬場下町18フェニィックスビル3F地下鉄早稲田駅出口2か3bより徒歩2分予約・/PA/FSPACE(パフスペース)

八月に野戦之月海筆子の女優人で芝居をします。

2016年6/18(土)
「テリーのいる風景」
 
 通称テリー・新井輝久(1962~2015)
ある時は舞台の音響オペレーターとして地下音楽の現場を寡黙に支え、また100回を超える映画「<山谷(ヤマ)> - やられたらやりかえせ」の自主上映会では独学でマスターした映写技師として30年に渡って支え続けた。
生前、年齢・実名ほか自分に関しては何も明かさなかった超シャイな永遠の少年テリーとは誰だったのか?
テリー・トリビュート文集「新井輝久のいた風景」刊行と友人達のライブパフォーマンスで語り合おう!
● 開場  13:00 から終電まで。
テリーが集めていた膨大なスクラップ(高さ、目算8メートル。重さ、推定100キログラム)の展示をします。
●トーク開始 16:00
●パフォーマンス開始 19:00
■ ライブ+パフオーマンス
◎ 黒田オサム◎ 霜田誠二 ◎ 花上直人(予定)
◎ リュウセイオー龍
◎ A-Musik ◎ コテキタイ2016
■ トーク
◎ テリーのみた風景 ~スクラップを通じて蘇る
◎ テリーの歩いた風景 ~ 反日アンデパンダン、

東京クライデ―、上映委
◎ テリーの愛した風景 ~ 音楽、舞台etc

場所Plan-B

ドキュメンタリー映画+トーク+踊り(「大テント―想像力の避難所―」)
ドキュメンタリー映画 『大テント―想像力の避難所―』監督:陳芯宜(映像作家、台湾テント劇団「海筆子」メン バー)
2019年4月20日(土)丸木美術館にて
13:00上映開始
13:00~15:00 『大テント―想像力の避難所―』上映(日本語字幕)
15:10~15:45 アフタートーク 
桜井大造+丸川哲史
15:45~ 踊り リュウセイオー龍『跳舞の空間大テント編』
会場:原爆の図丸木美術館
埼玉県東松山市下唐子1401
陳芯宜映画監督。ドキュメンタリー、フィクションを問わず、今日の社会状況を長期にわたって観察、人物のキャラクターや生活境遇を深い描写で伝達している。撮影 テーマの多くは人文、芸術分野に関わっている。作品はベルリン国際映画祭や金馬奨などの映画祭に入選または招請された。2014年のドキュメンタリー映画 『行者』は金馬獎、台北映画祭「最優秀ドキュメンタリー賞」候補、台湾国際ドキュメンタリー映画祭「国際選抜」候補、公開後三ヶ月連続絶賛上映という大き な成果を挙げた。紀錄片作品|《尋找乳房》(2018)、《來得及說再見:好好吃飯》(2015)、《行者》(2014)、《山靈》(2014)、《流離島影:誰來釣魚》(2000)など。劇情片作品|《台北工廠:豬》(2012)、《昨日的記憶:阿霞的掛鐘》(2011)、《流浪神狗人》(2007)、《我叫阿銘啦》(2000)など
大帳篷 - 想像力的避難所
『大 テント─想像力の避難所』は2004年から2016年までの「台湾海筆子」テント劇団の台湾での発展と、それが日本や北京などの行動と連帯してきた軌跡を 記録したドキュメンタリー映画である。映画には、毎回の行動の計画の開始から終止とともに、
桜井大造と劇団メンバーたちのテント芝居についての思索、メン バーたちの生活と仕事の変化などの十年が折り畳まれていて、裏返して広げることによってもう一度考えることができる地図のようなものになった。撮影の過程 の中で、監督の陳芯宜も客観的距離をとった記録者から、知らぬ間にテント行動に身を投じる参加者になっていく……。
アフタートーク
15:10~15:40 アフタートーク 
桜井大造+丸川哲史
 ★桜井大造
1970年代から21世紀の今日まで、激動の時代を伝説の「曲馬間」「風の旅団」、そして「野戦の月」の中心メンバーとして疾走し続け、この10年は、東京の『野戦之月』、台北の『海筆子』、北京の『流火』の3つのテント芝居グループにて活動。
★丸川哲史
二〇〇七年一橋大学大学院言語社会研究科にて博士号(学術)取得。現在、明治大学政治経済学部教授、同大学大学院教養デザイン研究科兼任。専攻は東アジア文化論。
跳舞の空間大テント編
15:40~ 踊り リュウセイオー龍
★リュウセイオー龍
1995年、10歳で野戦の月『バンブーアーク 阿Qの陣』で舞台デヴュー。以降、現在に至るまで野戦之月、独火星の全公演に出演。2004年<Ryuseioh Dance Project>を立ち上げ、ソロ・ダンス公演『動く銅像』で広大な海に漕ぎ出す。12年から<跳舞の空間>
シリーズを開始。
今日までソロ公演を続けている。
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